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陽の赤と青に咲く紫陽花の光線

  • 2021年6月19日
  • 読了時間: 2分

 2021.6.18 APIA40にて紫陽舜としては初めてのライブをしました。



 無観客の配信ライブ。共演は廣瀬康子さんと高田拓実さん。ライブの最後に、出演者それぞれ店長からのインタビューを受けるコーナーが設けられました。


 この日僕はいつもの青バラの衣装、廣瀬さんはウズベキスタンで買ったと言う美しい青を基調とした衣装を纏っておられ、どことなく衣装対決に・・、自転車でさっそうとやって来た高田さんの「蒲田の飲み屋で会った人だろ?」感あふれる雰囲気ももちろん素敵だった。歌、最高だった。


 そんな訳でインタビューの縦軸は「色」の話になった。


 歌を作る時、ライブを作る時、想像・創造する色について。店長的にはこの日の僕は「青」のイメージだったようで、確かにセットリストも少々ジトジトした梅雨時な雰囲気に溢れていたし、その通りだなと思った。しかしながら、僕は最初だったので聞かれなかったけど、2番手の廣瀬さんからインタビューされ始めたこの話題について、僕の色って・・?、と考えてしまった。


 僕は歌を作る時、曲調はあれど確固たる色をつけるよりは「何色でもない」「何色にもなる」を意識することが多い。なので解りづらいと思う。でも解らせようとしてないので、心の中で答えを作ってもらえるような歌ができたらっていつも思っている(もちろん、そういう曲だけじゃないけれど)。


 そんなことを考える中で、ふと「は!っ」とした。

 それは田原の俊ちゃんもびっくりの「は!っ」だった。


 そうか「紫」だったんだ・・。


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  それなりに歌って来たので、色々言われて来たこともある。


 「君の歌には風景しかなく、感情がない」「君の歌は言っている事が解らない」「君はフォークなのかポップスなのか解らない」などなど。要するに中途半端ということと、演奏技術も人気も伴っていないので認めてもらえなかったんだと思う。


 でも声が出なくなったりだの何だの紆余曲折を経て、やっと安定し始めた今の自分に、それなりに自信を持てるようになった。


 僕の歌の陽は「赤」でもなく「青」でもなく、その間を泳ぐ色「紫」。

 僕の歌の真意は見えない、でも聞く人の身体に実は降り注いでいる「紫外線」。

 僕の歌は宙に浮かび漂う「紫陽花」の様な歌。


 「紫陽舜」この名前が上がって来たのはまた別の経緯があるのだけど、僕は妙にしっくりきている。その理由がわかった気がする。



 陽の赤と青に咲く紫陽花の光線



 ありでしょ?

 
 
 

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