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思ったことを、つらつらと。

 先日、NHKで和歌山カレー事件 林真須美さんの子ども達のドキュメンタリー的なのがやってたんですね。内容としましては、苦しみ続けた子どもたちのエピソードと、周辺の人たちへのインタビュー。長女は自分の娘と海へ飛び降り無理心中。事件の真意とかそういうことでなく、あくまでも彼らの人生を追いつつ、周辺の人々や被害者遺族にインタビューしたりといった内容。


 ただ、解説者として呼ばれていた森達也 氏が最後に言葉を残す際「前提として、この裁判はやり直されるべきだと、僕は思う」と言った上で日本人の“個の弱さ“、“同調性・集団主義“の話をしていた。〜僕は学生の頃、死刑問題を取り扱っていたし廃止派に偏り気味なので、この問題についてはそれなりに知っているつもりですが、ここについては逸れちゃうので書きません〜


 今回はこの同調性・集団主義、小山田圭吾 氏の過去の発言での炎上がまさにそうだと思ったという、お話です。


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 僕は噂の雑誌持ってます。Corneliusファンなので、ずいぶん昔に下北沢でわざわざ探して買いました。この発言も知っていた上で買いました。尖ってたんですね・・。「なんて酷いんだ・・」って思いましたし、絶対嫌だ、友達になれないって思いましたが、僕は彼のアートに魅了されていますので、社会的にも彼個人としても「そういう時代」だったんだなと思うくらいでした。とはいえ、あまりに酷いことやってるし、突かれてしまった以上謝罪はそりゃそうですよね。(※前提として記載されていたことが全て真実として。)


 でも、今回の辞退するべきか否かというのは「死んで償う」のか「生きて償うのか」というくらいに、もっと複雑な話だと思うんですよね。というより周りが判断できることじゃなくて、とても強いていえば被害者の方くらいにしか判断できないんじゃないかな。〜今回の炎上って、当事者にとっても被害者にとっても、嫌な思い出掘り返されているだけじゃないか?なんて思ったりもしますけどね〜


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 同調性・集団主義というのは、周りの意見に流されて意見を決めてしまう、結果集団化してしまう(言い方を変えると孤立しないようにする)という性質のこと、とします。


 今回の炎上の火種が何処にあるのかは知りませんが、少なくとも大盛り上がりしている人々の大半はこんなマニアックな27年前の記事知らなかったでしょ。でもまるで最新の記事であり、小山田圭吾の最新の人柄であるかのように、瞬く間に広まって集団化する。。怖いよ、これは気づかぬうちにリンチに加担してる人がいっぱいいると思うんだ。〜ちなみに記事中で「今思うと本当にヒドイことをした(笑)」「人の道に反してた」とは、一応書いてあります。インタビュアーはこれらの発言に対して「文系の学校が血気盛んになるとそっちに走るよね」とフォローしてます〜


 何処かで「反省するような人じゃない」ってコメントを見たけれど、Corneliusの音源聴き続けてると、近年信じられないくらいに優しさに溢れていることに気づけるので僕としてはそうは思わない。


 34年間本人への謝罪をしていないというのもあったけど、そんなの状況もあるし、誰にその年数の良し悪しを判断する権利があるんだ?。僕も小さいながらに経験があって、小学校の頃とても仲良しだったA君がイジメの対象になったから僕も一緒にイジメる側に立った。因果応報でその後不登校になったA君の代わりに、僕がイジメられました。


 今でも謝りたいけどさ、連絡先もないし何処にいるかも分からない。。ずっと後悔してますよ。今からでも謝れるんだったら謝りたい。イジメの内容は悪口と集団無視でしたね。これだって人の道を反してると僕は思う。だって集団で生きていかなきゃ生きれない生き物なのに、無視してんだから。


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 感情的になったから区切ります。


 「批判」と「否定」は違うと思うんですよね。炎上は一方的な「否定」で、否定は「分断」を生む。相手をちゃんと見ようともせず、白・黒でしか判断してないから。分断からは「調和」が生まれない。


 「批判」は互いに論理を語らうから、何処かで中間色を探していて、「調和」を見出そうとしている点で、「平和」への意志がある。


 なので彼の行いを批判しつつ、炎上を批判してみました。


 〜東京オリンピックについてはこっちが「批判」しても向こうがそれを「否定」している感覚・・〜


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 P.S.

 そういえば、新卒で障がい者関係の仕事してたので、周辺の知り合いもいますけど、僕の周辺の障がい者や関係者は誰も騒いでないな。どう思ってるんだろう?。


 あと今回のオリ・パラ開催にはそもそも反対です。念を押して。


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