お会式の夜の中也を勝手に考える。
- 2019年9月29日
- 読了時間: 3分

近づいて参りました!
練習時間が思うようにとれなかったり、あれやって、これやって・・・忙しい日々で焦ってますが良い夜になりますよ!では、本編へ。
今回のライブタイトル「お会式の夜」は僕の楽曲からですが、詩は中原中也のものです。中原中也は昭和初期の詩人であり著作権はありません。彼には数多の未発表詩があります。この詩はその中の一作品です。よければ聞いてみてください。
僕は専門家ではありません。また僕も恥ずかしながら勉強しながら書いています。なので簡素なものにはなってしまいますが、この詩の背景にある中也を少し覗いてみましょう。
この詩は1932年、中也が25歳の頃の詩です。この年の4月より中也が自らの手で唯一残した詩集「山羊の歌」の編集を始め母から貰った300円で印刷までしています。しかし資金が乏しく、刊行が実現したのは1934年でした。そしてこの頃の中也は高森文夫とともに旅をした後、北千束のあたりに転居しました。
またこの年の9月、つまりこの詩が生まれる1ヶ月前に中也は祖母を亡くしています。その前年に弟の死もあります(中也は6人兄弟の長男)。
また僕の持っている書籍に「このころノイローゼになり、強迫観念や幻聴があった」とあり、つづけて翌年には「ノイローゼはほぼ回復したようである」とあります。この間に何があったか分かりませんが、ウィキペディアには「帰省により」とあります。
翌1933年、訳詩集『ランボオ詩集』を三笠書房より刊行し、12月には母フクのススメにより上野孝子と結婚します。ここは結構なポイントで、それまで文学に傾倒し、学業を疎かにし、医者である実家を飛び出し、長谷川泰子との同居生活、そして彼女が親友小林秀雄の元へ行ってもなお愛し続けた中也が、母の言うことを受け止めて結婚しているのです。
ここまでの内容で僕が思う「お会式の夜の中也」は1925年に上京してから長谷川泰子を小林秀雄に奪われ、それでも小林を慕い、泰子を愛しといういわゆる僕らのよく見る「中也」が続けられる精神状態でなくなっていたのではないかと思います。そんな折ふと我に帰った瞬間の詩なのではないかと思います。
母の言うことを素直に受け入れ、結婚し、子を授かり・・、ここに行き着く手前に書かれたこの詩に隠された中也は、人生に対する価値観が変わる手前のチグハグな状態にあったのでは・・・と思います。
〜自分も同じくらいの年齢だからか・・・なんとなくそう思えます。〜
結婚後の中也は長男を授かり溺愛しますが、長男を失い、精神を病み、1937年病気で亡くなります。
というわけで「お会式の夜」を読んでみよう!
ついでに歌も聞いてみてくださいね。
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